てとりす

 風呂を上がって廊下へ出ると、居間の襖の隙間から電子音が漂い出ているのに気付いた。聞き覚えのある音楽だ。山間の村といえ、近年は夜もなかなか気温が下がらない。巌勝は、生温い床板を裸足で踏みながら廊下を進み、静かに襖を開けた。
 二人暮しなのだから、音楽を流しているのは縁壱に違いないのだが、
「やはり」巌勝は呟いた。
「何がです?」縁壱は大きな手にすっぽり収まるスマートフォンの画面から目を離さない。しきりに親指を動かしているところをみると、ゲームをしているのだろう。
「あ、テトリス」巌勝は、聞き覚えのある音楽の正体に気付いた。
「とても古いゲームですよ」
「なんで今更」
「盆の買い物を手伝いに行った時に、おばあちゃんがしておられたので。おじいちゃんは名人なんだそうです」
「ふーん。なるほどおじいちゃんで私にも覚えがある訳だ」
 巌勝は四角いちゃぶ台の、縁壱が座る辺と直角の所へ座る。家事部屋を背にする定位置だ。縁壱は居間と廊下を隔てる襖を背にしている。巌勝が少し首を伸ばすと、縁壱は画面がよく見えるように傾けた。
「ふーん」巌勝は少し目を細める。
 恐ろしく下手くそだ。
 縁壱、お前は本当にこういう遊びが下手くそだな。もっと――
「違う逆のやつだ!」
「えっ?」
「いや、何でもない、好きにやるのがよい、遊びだからな」巌勝は手を振って続行せよと伝える。
 縁壱のプレイ画面を見ていると、これは七種、七色のブロックをイイ感じの配色で敷き詰めるゲームなのかと思えてくる。カラフルな陸に混ざる黒い池に、巌勝は苛々してしまう。
 縁壱、剣術と優しさに能力を全振りしてしまったのか。そうするとお前のような人間になれるのか。私もそんな風になってみたい。
 そっと縁壱の顔を見ると、画面を凝視しながら微かに頭を動かしている。音楽にノッてしまっているのだ。
 ノッてる場合か! だからすぐに――
 どんどんどん! と、巌勝の胸の黒い海にブロックが落下してきた。それは次々に落ちてきて、瞬く間に胸をいっぱいにしてしまう。全て赤いブロックだった。
「兄上?」縁壱がスマートフォンをちゃぶ台の上に置き、横倒しになって目を閉じている巌勝の腰の辺りに手を置く。
「どうされましたか?」
「どうも。どうもしないが、後で私にもそれをやらせてくれ」
 目を閉じたままの巌勝の耳に、縁壱の笑う声が届く。胸の真っ赤なブロックたちは、すうっと溶けて、巌勝の身体の中に染み込んでいった。

【完】