ポッキーの日はもうこよみに載っている

 先輩方は皆、こんなに宴会好きだったろうか。
 スーパーマーケットでワインのおしゃれなラベルを眺めながら義勇は思った。
 学生の頃は勉強をするという名目で煉獄家に集まったものだ。その後煉獄杏寿郎が東京の大学へ編入し(今義勇も通っている大学だ)、継国兄弟が祖父母の家から独立した後は兄弟の家が「いつもの家」になった。他の家族がいないから、やりたい放題である。
 義勇はワインを棚に戻した。ワインを買いに来たわけではない。ビールが置いてある場所へ移動する。
 十一月十一日、ポッキーの日。
 こんな日まで宴会をするのか。小さなため息。
 ネタはなんだっていい。集まって飲んで話してガス抜きをする、ただそれだけだということは、義勇も分かっていた。分っていたが、今回のメンバーの中でカップルは自分たちと継国兄弟だけである。皆、継国縁壱には甘い。何かしかけても、彼が困ったり困惑しておろおろしたりすれば「いいよいいよ」と許してやる空気がある。しかし義勇は後輩である事と口下手な事が災いして常に「いじられ役」にされてしまう。
 ポッキーといえばポッキーゲーム。そして宴会。
 嫌な予感しかしないと思いながら、ビールの箱に貼られた札から目を上げると、安売りの菓子が山積みにされているワゴンの向こうに縁壱の姿が見えた。サービスカウンターの前に立っている。長身な上、和服を着て長いもふもふの髪を結っているから目立つ。見ていると、手にしていたメモ紙を落とし、しゃがんで拾った。立ち上がる時に義勇と目が合う。義勇が軽く頭を下げると困ったような顔をして笑った。店員がカウンターから出てきた。段ボール箱入りのポッキーを三箱載せた台車を押している。義勇はわずかに目を剥いた。
「今晩の宴会の買い出しなんだ」
 ポッキーをいつもの軽自動車の後部席に押し込んだ後、義勇と並んで店に戻りながら縁壱が言った。それ以外になんのために大量のポッキーを買うのだと思いつつも、義勇はただ頷いた。
「俺は、ビール担当です」
「そうか、じゃ、買って一緒にうちへ上がろう」言ってから縁壱は「あ、早すぎるかな」義勇を見た。
 義勇はかぶりを振った。
 縁壱が「うちへ上がる」と言ったのは、スーパーマーケットなどのある町や義勇の家は山の麓にあり、縁壱の家は山の中腹にあるからだ。この辺りに住む者は、たいてい里山の家へ行く事を「上がる」と言う。
 その道々、縁壱はポッキーの使い途について語った。
「私は菓子作りはまだ初心者なんだけど、今回の宴会では日頃の感謝の意もこめて、これを使ってチョコ菓子を作ろうと思うんだ」
「はぁ」義勇は一度頷いたが、運転席から助手席の自分は見えまいと声に出して返事をした。
「ポッキーの日に宴会なんて、楽しいね。うまく年忘れできそうだ」
「えっ?」
「十二月は皆忙しいだろうから、このあたりで忘年会をしておくのはいい事かもしれない」
 今度は上手く返事できず、義勇は小さく顎を振った。
「このポッキーの日にチョコ菓子を贈り合うのも、私はとても好きだ」
 しばし車内に沈黙が流れた。
「あの、ちゃんぽんにしすぎでは」義勇がぼそりと言った。
「えっ?」
「いや、なんでもないです。俺も、十一月の忘年会には賛成です。バレンタインも好きです」
「そう、それだ、バレンタインだ」縁壱はリズムを取るように何度か軽く頷いた。
 交差点の信号が青に代わり、縁壱がハンドルを切って左折する。小さな神社を通り過ぎて、道は峠へ向かった。
 後ろの三六〇箱のポッキーの事を意識しながらも、義勇の心は少し軽くなっていた。
 ポッキーの日がバレンタインと忘年会でなんか薄まった。
 「ヤバい」状況は回避できるのでは?
 峠道の真ん中までくると、集落が現れる。両側の山の斜面に棚田が並び、家がぽつぽつ建っている。その中に継国兄弟の家はある。古い農家を改装したものだ。田んぼはやっていないが、いつも家にいる縁壱は、農繁期にはあちこち手伝いに行くようだ。
 棚田の中の細い坂道を通り、縁壱の車は家の裏へ回り込んだ。車庫へはこちらから入る。車庫の向かいにある、かつて苗代であったビニールハウスに家庭菜園が作ってあった。
 縁壱と義勇が、家の裏からポッキーやビールの箱を運び込むと、伊黒小芭内が出てきた。宴会は夜だというのに早い。
「今日はヒマだからな」訊かれもしないのに、伊黒が答えた。「ヒマなやつは他にもいるぞ」
 義勇が居間へ行ってみると、夜一緒にここへ「上がる」予定だった恋人の不死川実弥が居た。既に酔っている。義勇は眉間にしわを寄せた。
「年忘れだァ冨岡ァ、年忘れだァ」
 縁壱の勘違いがかけた魔法は、熱にさらされた氷のように融けてゆく。
 義勇はゆっくり視線を巡らせ、居間の入口を見た。
 家事室に、ポッキーの入った段ボール箱を一つ抱えた伊黒が立っている。その後ろからやってきた縁壱が
「冨岡君! 今日はポッキーの日だから、バレンタインチョコを作っている場合じゃなかったよ!」にっこり笑った。
 笑っている場合なのかと詰めよりたい気持ちとそれでもこの人は楽しむだろうなという気持ちがせめぎ合い、義勇は思わず下くちびるをきゅっと噛んでいた。が、すぐにこれを解放し、伊黒が持っていたポッキーの箱を受け取り、居間の奥の仏間へ運んだ。この客間として使われている部屋には仏壇があり、その前の小卓に置かれた卓上カレンダーは当たり前だが、十一月になっている。なんの印も付いていないそのカレンダーを見てから、義勇はポッキーの箱をぽんぽんと叩いた。

【完】