巌縁は晴れ間を逃す

 里山は梅雨入りを迎え、雨の日が多くなっている。
 今週も二日雨が降り、一日上がって、それから週末も雨だ。双子の家は、今年も部屋干しの着物で縁側や裏向きの部屋にテント小屋が建てられたようになっている。
 ここのところ巌勝は、仕事が忙しく休み無しで働いていたが、塾以外の仕事が終わったために週末から四日間の休みをもらった。今日がその初日なのだが、まだ雨が降り続いている。急にもらえた連休に長雨で、初日は予定を立てる事ができなかった。
「退屈かな」居間のちゃぶ台でテレビを見ていた巌勝が、すぐ傍にいる縁壱に声をかける。
「いえ、退屈ではありません。少し暇ではありますが」
「どう違う」
「どうでしょうか」縁壱は熱い茶の入った湯呑みを両手で持ったまま首を傾げる。「『退屈』という言葉に十の棘があるとしたら、『暇』には三くらい、というところでしょうか」
「同じだろう」巌勝は笑った。
「そういえば――」縁壱は湯呑みを置き、テレビ台のところまで行って下段のガラス扉を開けた。袋入りの四百字詰め原稿用紙を取り出す。
「これを預かりました」
「誰に」
「筆者殿です」
「……ひ……?」読者諸君と恐らく同じ顔を、巌勝はする。
「筆者殿が、この時間を利用して作文をせよと言って原稿用紙を下さったのです」
「『下さった』なのか。一体何の作文をさせようと言うのだ、我々に」
「私は兄上の、兄上は私の、それぞれ好きな所について作文を書けとの事です」言って一秒おいて、縁壱は顔を赤くした。
「下らない事を。しかしそれをせねば『新刊が出せない』などとほざくのであろう」巌勝は眉根を寄せる。そして袋から用紙を出して半分を取り、残りを縁壱に差し出した。
 それから双子はそれぞれの部屋に入ってペンを手にする。

 

 縁壱の好きな所   継国 巌勝

 縁壱の好きなところなど挙げて、こんな本に収まるだろうか。
 まず、あの前髪だ。伸びないのか定期的に切るのか、いつも短くちょっと浮いている。その下の額がまた丸くてかわいらしいので好き……かもしれない。痣を気味悪がる者もかなりいたが、私はそれも好きだ。元々感情をあまり表に出さない縁壱だが、心情によって痣の色が微妙に変化するのもかわいらしい。今は私にも痣があるので揃いになっているのもまたよい。
 こんな事を言うとおかしいと思われるかもしれないが、これも記しておこう。
 私たちが未だにセックスをするに至れないのは、その時縁壱が突然「悪い予感」に取り憑かれて自信を失い尻込みしてしまうからだが、私はそんな縁壱もとても好きだし、セックスできない私たちもまた、好きなのだ。
 できるにこしたことはないかもしれないが。
 しかしできなくとも、気持ちのよい心温まる事はある。なにもしなくとも、二人で話しながら寝るでもよいのだ。不思議とだいたいそうならないが。
 ただ、この話は縁壱にしてはいけない。気に病んで無理をするに決まっている。ここのところは私の本意を理解できないようだ。
 台所に立つ縁壱もかわいらしくて好きだ。二人のための食事を細やかな心づかいをもって作っている姿は本当に「エモい」。
 今はどんな料理も作り方を見れば上手く作るが、私たちが二人暮らしを始めた当初、縁壱も料理はビギナーであったし、元々は得意でなかったらしく様々な面白いものを作り出していた。その頃のすまなそうな顔をしてちゃぶ台の前に座っていた縁壱もとてもかわいいが、今の素晴らしい腕前になるまでにした努力を思い、何の為に努力したのかと想像すると、本当に胸に温かいものが満ちてくる。
 「好きだ」とか「大好きだ」とか、何万回言っても私の縁壱への気持ちを的確に表現する事はできないだろう。人間ドックでMRIを撮れば何か見えてしまうのではなかろうかと思うほどにこの気持ちは大きく確かなものだが、それが見えた事はない。不思議な事もあるものだ。見えたなら、縁壱にもそれを見せて安心させてやりたいのに。
 ええい、こんなものを書いている場合なのか私は。

 

 兄上の好きな所   継国 縁壱

 私は作文がとても苦手だから、上手く書けるか自信がありません。
 でも、兄上の好きな所はたくさん書けます。
 ただ、上手く書けるかどうかといえば、ちょっと自信がありません。
 兄上の好きな所を書きます。
 ああ、伊黒君に手伝ってもらいたい。冨岡君でもいい。
 では、兄上の好きな所を書きます。
 多分、生まれる前から好きだったかもしれません。多分、生まれてすぐ、兄上の後ろを一生ついていこうって、思っていたかもしれません。多分、幼稚園の時もそう思っていたかもしれません。写真を見れば、いつも一緒です。写真なので、一緒の所を撮ったものばかり残っているのかもしれないと思いましたが、大おばさんやおばあちゃんに聞いてみたら、いつも一緒にいたと言いました。とてもうれしかったです。
 全然兄上の好きな所にたどりつきません。
 兄上の好きな所を並べたいと思います。
 ひとつに、優しい所です。私は出来のよくない弟ですが、いつも優しく教えてくれるし、待ってくれます。セッ
 それから、どこをとってもカッコいい所も好きです。子どもの頃は、本当にめちゃくちゃカッコよくて、兄上があれがカッコいいとかこれがカッコいいとか言ったりすると、私は兄上の方がカッコいいのにと思ったものです。言いませんけど。すべて兄上の方がカッコいい。

 

 縁壱がそこまで書いた時、ガラリと戸を開けて部屋に巌勝が入ってきた。縁壱は慌てて原稿用紙を裏向ける。
「兄上、もう作文終わられたのですか?」
「途中でやめた。どれ、お前のを見せてみろ」
 縁壱が止める間もなくさっと用紙を取り、斜めに二度、目を走らせる巌勝。そこでやっと縁壱が原稿用紙を取り返した。顔が真っ赤になっている。
「兄上のも、見せて下さい」
「私のはもう捨てた」
「ずるい!」
「ずるいものか、こんなものに真面目に取り組んでいる縁壱が悪い。それに途中で『セッ』って書いてあったが、あれは何だ?」
 言われて縁壱は自分の作文を読み返す。
「あっ、これは消さねば、間違いで――」
「『セックス』と書きたかった?」
「ちちちちち違います! せせせっせせっ……クスなど――あっ!」脇から腕を回し持ち上げられ、縁壱は床に転がされた。原稿用紙が床に散らばる。
「兄上、からかうのはやめ――」巌勝が頬にキスしてきて、縁壱の言葉は途切れた。頬に、瞼に、そして額に、蜜を集める虫のように巌勝のキスが飛んでくる。始め顔を横へ向けていた縁壱だが、耳にキスされ巌勝の方を向いた。足に当たる股間のこわばりとは裏腹に、彼の顔は優しく微笑んでいる。そっとくちびるにふれてくる指を感じるともう、縁壱は『チュー』してほしくてたまらなくなってしまう。しかし恥ずかしいので、黙ってぎゅっとくちびるをかみしめた。巌勝は縁壱の肩の辺りに顔をうずめ、首筋に熱い息を触れさせながら、縁壱の袴の脇から手を突っ込み股間をまさぐる。縁壱の顔は次第に苦し気になる。ふうと息を吐いたところを捉えて、巌勝は縁壱のくちびるをふさいだ。一度拒否した罰だと思いながらいつもより深く入念なキスをする。
 外では雨が小やみになっており、もうしばらくすると晴れ間となりそうだ。

【完】